職住一体「西陣の特徴・職住一体」この紋屋町には、暗室を持った写真家も住んでいる。石川は、元々、染織作家のお店に弟子入りしていて、染織の仕事をしていたが、いつの間にか、仕事の量が入れ替わって、今では、すっかり写真家として活躍している。 大工仕事をして内部を大改装したわけではないのだが、インテリアや家具の配置などによって、内部の雰囲気も外部(玄関)もがらりと変わるいい例だ。職住一体のSOHO利用形態なので、自由に見学できないのが残念だ。 西陣の空き町家の有効利用の大半は、こうしたSOHO形態だ。ちょっとした粋な飾りがあるだけで、外から見ただけでも十分楽しめる。しかし、いくら有名な三上家路地とはいっても、他人の敷地内である。観光目的でぞろぞろ見学されるのは、住民にとって、あまり歓迎されることではない。しかも、見学者の中には、家の大きさや古さを見て、住民のプライドを平気で傷つけていく人もある。 (イラストは 貞岡なつこさんです。) SOHOは、Small Office,Home Officeの略で、大きなキャパシティーがなくても出来る仕事場や在宅の仕事場、お店などのことである。 ニューヨークのアートシーンを作り出したSOHO地区と同じ発音なので、言葉上誤解されることもあるが、ニューヨークでは、空き工場を不法占拠したアーティストたちによる町おこし運動の中心地を指す言葉である。 西陣が独立した「西陣エリア」として、最初に観光雑誌に掲載されたのには理由がある。 わたしたちの町家利用形態がマスメディアに紹介されたころ、ある観光雑誌の編集人が訪ねて来た。わたしと小針は、有名な雑誌の編集責任者とは知らず、表紙の写真をぼろぼろに批判して、おまけに「これからは西陣ですよ」などと自信満々で言ったのを覚えている。それから数日して、その人から「表紙の写真を担当してほしい」「西陣を六ページ特集として、三回連続取り上げさせてもらう」と提案されたのだ。そこで初めて、その人の名刺と雑誌の編集人を比べて、その人が編集責任者であることが判明したのだった。 それから、四回、季刊号および年間号の表紙を小針剛が担当することになり、六ページ特集も約束通りに履行された。もちろん、わたしも本業スタイルで堂々と表紙に登場しているのだが、仮装しているみたいで、誰にも指摘されなかったのが少し寂しい。 というわけで、一社が取り上げると、不思議と追随する雑誌が出現する。それから、どんどん西陣が取り上げられるようになったが、やはり、SOHO形態が多いので、必然的にお寺やお店紹介、町並みに重点が置かれるようになる。 その上、当時は、まだまだ空き町家の有効利用の数が少なく、海のものとも山のものとも区別がつかない、いわゆる、取り上げるだけの価値があるのかどうか、説得力のない時代だったのである。今となっては、その編集責任者に感謝するとともに、その雑誌に掲載されたことが、わたしたちが取り組んできたお寺や空き工場でのイベントが有名になっていくきっかけでもあったのである。しかし、三回連続取り上げることができるだけのネタを持っていたのも事実だ。 そして、別にメジャーな観光拠点のない、普通の町並みや路地が注目されるはしりとなったのである。今では、いろんな雑誌や地図に「西陣」が登場し、町歩きをする団体や観光客があちこちの大路小路を闊歩している。 |